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013

写真撮影禁止について考える

 

美術館、神社仏閣、飲食店、本屋、

洋服屋、デパート、空港、ライブ会場。

写真撮影が禁止されている場所はたくさんあります。

(世界的に撮影OKな場所も増えてきましたが)

 

ぼくは普通の人より写真を撮る機会が多いので、

写真を撮るという行為がなぜ嫌がられるのか。

色々と考えてみました。

 

例えば美術館なら

1作品の著作権保護

2フラッシュによる作品のダメージ

3他の鑑賞者の妨げになる

などが考えられます。

 

他にも、プライバシーや肖像権、

盗用を防ぐなどの意味や、

不快感を与えるから、神聖な場所を汚す、

などの理由もあるでしょう。

そもそも、みなさんは

人が写真を撮っている光景を見た時

どんな風に感じますか?

 

なんとも思わないですか?

それともちょっと不快な思いをしますか?

 

世代によって感じ方は違うかもしれないし、

私たちが写真に携わっているから

敏感になっているのかもしれない。

 

「撮影行為がなぜ人を不快にさせるのだろう?」

という前提に基づいてまとめてみましたので、

ピンと来ない方はスルーしてくださいね(笑)

 

さて。

みんなスマホで写真を撮るのが大好きだけど、

写真を撮る行為や撮られることに不快感を感じる

という不思議。

 

じゃあ、その嫌悪感てなんだろう??

 

今回は、そういった社会常識や営業上の理由、

またプライバシーや肖像権などの権利上の問題以外の、

もう少し心理的な部分の嫌悪感にスポットをあてて

その理由を探ってみることにしました。

 

あくまでも個人の見解と分析なので、

ふわっとご覧いただければ嬉しいです。

①写真を撮ってる姿が美しくないから

 

ある生徒さんが話していたことを思い出しました。

「私は写真教室に通ってるし写真は大好きだけど、

人がカメラを構えてる姿を見るのがすごく嫌いなんです」

と。

 

これはちょっとわかる気がする。

 

写真教室を運営する人間が言うのも微妙ですが(笑)

 

椅子から立ち上がったり、視界を横切ったり

シャッター音が鳴り響いたり。

電車内のマナー違反のような種類の不快感でしょうか。

 

「電車内でお化粧するな!」的な?

 

いずれにしても、写真を撮っている姿そのものが

あまり美しいといえない、ということでしょうか。

 

いや、ちょっとまてよ。

過去、何度か写真家の撮影シーンに立ち会いましたが、

その所作や立ち姿はとても美しく、

なんならその場の空気の質をさらに高めていた気がする。

 

街や空間に馴染んだり、空間を支配する、

そんなことができる人たちが写真家だとも思う。

 

覚悟の問題(被写体に対峙する気持ち)か、

カメラを扱う動作が美しいのか。

写真家にあってアマチュアにないもの。

案外その答えは、カメラを構える姿などの

見た目にも問題があるのかもしれない

 

だとすると、箸の持ち方とかと同じように、

カメラの構え方とか、握り方とか、

そういった作法こそ教えるべきなのかもしれない。

②その場が共有すべき目的から外れているから

 

写真を撮る人ならきっとあると思うけど、

夢中で写真を撮っていると、

周りが見えなくなる瞬間がある。

 

人の敷地に無断で入ったり、草花を踏みつけたり、

通行のさまたげになってたり、

気付かぬうちに誰かを不快にしているかもしれない。

 

写真を撮るのに夢中になっているとき、

その目的が場を共有する他者と違った場合、

そこに「いるのにいない」感じがして、

ずれが生じる。

 

例えば花火大会を想像してみてください。

 

そこにいる人々は、

夜空を彩る花火に目を輝かせ、

その美しさに感動し喜びを共有するはずなのに、

カメラマンはひとり背を向けて、レンズ交換に四苦八苦。

 

例えば飲食店でおいしそうな料理が運ばれてきたのに、

よりよい写真の構図を探している間に、

料理の「食べごろ」はすぎていく。

 

五感で感じることよりも、

三脚の高さや露出の設定を考えている。

 

そこにいるのにいない。

 

もしかすると

今夜のSNSでの投稿や、写真展の作品のことを考えてる。

 

その自意識を見破られているのだろうか。

だから写真を撮っている行為が、美しく見えないのか。

もしくは、目的がずれていることによる不快感?

 

居酒屋で人生相談してる時にスマホ触ってる、

みたいな嫌悪感、ずれ。

 

下写真は、滝を撮ろうと三脚をセッティングしている時に、

この美しい光景を五感で感じることを疎かにしてる

自分に気づき、ゾッとした瞬間の一枚。

写真を撮ることで、最高に素晴らしい瞬間を

かえって逃してるんじゃないかとさえ思った。

③実害はないけどなんか嫌だ

 

これは一番共感していただけないかもしれない。

自分でも気付かないレベルの潜在的な不快感。

 

自分の写り込む範囲、所有物、制作物などの

写真を他者に撮られる時に感じる不快感。

 

自分だけずるい、あなただけ金儲けされたら損だ、

何かを盗まれるような気がする、

など、実害があるかどうかわからないけど、

いわゆる「得なことが一つもない状態」を

人は潜在的に不快感を感じるのではないか?

 

「他人に得をされたくない、搾取されたくない」

という心理が働くかもしれない。

 

僕は写真が大好きだし、これからも自由な表現として

街や人々のスナップを撮っていきたいと思う。

そのためにも、

撮影行為への嫌悪感の原因を突き止め、

できるだけ人様に不快感を与えずに、

その場所を楽しくできるような撮影スタイルを

模索していきたいなあと思います。

 

例えばロバートフランクの「THE AMERICANS」は

当時のアメリカのカルチャーを伝える大変貴重なものだし、

肖像権の許可をいちいちとって撮影していたら

これらの写真は生まれなかったと思う。

 

時に写真の持つ本質や重要性を理解してもらい、

それを貫く覚悟を持って被写体に向き合い、

注意深く運用していかなければならない。

 

また洋服のTPOと同じように、カメラも場によって

形や大きさを変えることも必要。

 

例えば街を撮影する時は、

仰々しい黒くて大きい一眼レフではなく、

小さなカメラで写真を撮るとかね。

 

そういう意味では、スナップシューターに人気の

GR3のコンセプトはとてもいいですね。

カメラのデザインを大きく変えてしまう

というのもありかもしれない。

 

例えば、ぬいぐるみ型カメラとか。

これ5.6年前から言ってますが(笑)

 

くまのぬいぐるみポシェットカメラを作りたい。

もふもふのカメラ。

撮られるときこどもたちもきっと笑顔になるね!

 

共感してくれる特異なメーカーさんがいらっしゃったら、

ぜひ一緒に作りましょう(笑)

 

一億総カメラマンの時代を迎え、

マナー、著作権や肖像権、はたまた表現の自由。

写真リテラシーについて議論し、

教育するフェーズがきたのかなとも思います。

 

自由に表現できる日本は、とても恵まれている。

だからこそ、人の気持ちを踏みにじらず、

できるだけ環境の邪魔をしないカメラのあり方を

写真を撮るのが大好きな私たちは、

今一度考えてみましょう。

また、みなさんのご意見も聞かせてくださいね。

それではまた来週。