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008

写交場、居場所づくり、多様性

 

先日の川崎の事件について、

「死にたいならひとりで死ねばいい」という論調に

警鐘を鳴らす社会福祉士の藤田孝典さんの

発言が話題になり、賛否が議論されていますね。

 

孤立する人々にとって「一人で死ね」の声は、

社会に対しての絶望感と憎悪をさらに刺激し、

次の事件を生み出す危険性も孕んでいる。

 

感情的な言葉が持つ、暴力性や社会的影響を

懸念し、発信されたようです。

 

社会は手を差し伸べ何かしらできることがある、

というメッセージを、孤立した人々へ送る必要性を

藤田さんは訴えています。

 

一方で、こどもたちや罪のない人の命を

社会への恨みという、理不尽な理由で奪うことに対しての

やり切れない怒りは、あって当然だと思います。

 

またそれを発信する「タイミング」が

賛否の議論に繋がったのではないかと思います。

どちらも共通する思いは、

「こんな悲しい事件は二度と起こってほしくない」

ということ。

 

池田小学校や秋葉原の無差別殺傷事件から続く、

いたましく悲しい事件を繰り返さないために、

何をすべきなのか。

 

議論が沸き起こるということは、

それを考えるきっかけが生まれたということ。

 

こどもたちを守るセーフティーネットについては、

既に学校や自治体単位で積極的に取り組んでおり、

そのシステムも洗練されつつあると聞きます。

 

それでも、入念に準備し強い殺意を持った人間から

命を守ることは不可能に近いと思うのです。

 

いかに事件からこどもたちを守るのか。

 

セーフティーネットの議論も大切ですが、

そういった社会に恨みを募らせる状況にいる人を

一人でも減らしていくためにはどうすればよいのか。

 

その議論こそなされるべきで、

根本的な問題解決へのアプローチだと私は思います。

 

そのためには、まず大前提として

日本には孤独で孤立した人が多数いるという事実を

今一度私たちは認識し、

この現実に向き合う必要があるように思う。

日本のひきこもりの総数は

推定100万人以上とされており、

40〜64歳までに限ると推計人数が約61万人に達すると

内閣府の実態調査で判明しました。

 

日本経済新聞【ひきこもりの実態】

 

僕自身、20代前半の若かりし頃、

写真に打ちのめされ、絶望し、未来を描けなくなり、

「もう誰にも会いたくない」という精神状態に

追い詰められた過去があります。

 

自死する勇気もなく、

積み上がるタバコの空き箱の山を見て、

自己嫌悪に陥る感覚を今も鮮明に覚えています。

 

絶望的で真っ暗闇の中から

「奈良に帰って1から自分の居場所をつくろう」

と思うきっかけをくれた人がいたから、

今の自分があります。

 

僕は幸運にもその後も人の縁に恵まれ、

自分の仕事・居場所を確立できましたが

一つ間違えれば、今も暗闇の中にいたかもしれない。

 

時代背景やちょっとしたつまずきで、

孤立してしまうことは誰にでもありえると思う。

 

最も怖いことは社会との関わりがなくなり、

誰からも忘れ去られること。

 

この恐怖は体験しないとわからないと思う。

人との出会いやふとした言葉がきっかけで

人間は再起することもできるはずなんです。

 

だからこそ、接点を作ることが大事なんです。

どんな小さな接点でもいいから。

 

人間は失敗したり、過ちを犯すことがある。

 

そういった社会的弱者に手を差し伸べる

NPOやボランティア団体の存在そのものが、

孤立した人々の憎悪の感情を溶かし、

抑止力となりうることもあるはずです。

 

健全に正しく生きている人にとっては、

確かに理不尽だと思います。

 

当事者に甘えや弱さがあることも事実だと思うし、

そういった弱者に対して仕組みを作ることを

不公平と感じることもあるでしょう。

 

だけど私たちの地球には、

罪を犯した人、社会システムになじめない人、

様々な考えや価値観を持った人が

共存していることもまた事実です。

ぼくは、自身の写真教室においては

「多様性」を大切にしています。

(文化的多様性、価値観の多様性)

 

教師、社長、主婦、学生、フリーター、

妊婦さん、こども、お坊さん、デザイナー、医者、

心に傷を追った人、やりたいことを探している人、

犬好きの人、おもしろい人、まじめな人、

何かを打破したい人、仲間が欲しい人。

 

職種、年齢、性別、国籍、宗教、価値観も様々ですが、

それぞれのアイデンティティを維持しながら

互いの違いを受け入れ尊重すること。

 

写真の技術を習得することが一番の目的ですが、

同時に、ここは第3第4の居場所でもあります。

 

みなさんの肩書きを解き放って、

自由に表現してください!と伝えています。

(それはそれでみなさん悩んでますが笑)

 

センスや価値観の似通ったコミュニティではなく、

多様性を許容するコミュニティ作りが可能なのは、

写真が「ある特徴」を持っているからなんです。

 

その理由はいたってシンプル!

カメラは誰でも簡単に扱えるから。

 

それこそが写真の底知れぬパワーだと思っています。

もう少し噛み砕いたのがこれ。

 

青春スタジオ構想

 

現在推し進めようとしている

「写真と街研究所」につながる考え方です。

ぼくは、開講当初から

これを戦略的にやってきたわけではありません。

 

写真学生時代に面白かった授業や卒制から

ヒントを得て、そこに独自の考え方をミックスして、

今の写真教室のスタイルをつくりました。

 

卒展のシステムが確立した頃から、

写真教室の過程にある「副産物」こそ

かけがえのないものである、と確信しました。

 

だからと言って、

自己啓発的なメッセージを伝えたいわけではない。

 

僕にとって「写真教室」であることは絶対なんです。

ど真ん中に写真があるっていうのがいいんです。

 

いろんな人がいた方がおもしろいですからね。

私の教室にそりがあわない人もいるでしょう。

それでもいい。

 

取捨選択すればいいんです、居場所は。

先週「スナックピンぼけvol.4」を開催しました。

 

写真がディープに好きな人もライトな人も、

写真をコミュニケーションツールにして、

繋がったり悩み相談したりする月一の「写交場」です。

(下に写真があります)

 

今はまだ僕の生徒が中心ですが、少しずつ

外部の参加も増えてくれてとっても嬉しい!!

年代、性別、国籍問わず、

もっともっと多くの人と仲良くなりたいです。

 

世の中には仕事や家庭があっても、

寂しい人や孤独な人はたくさんいます。

 

ぼくには自分にできる範囲のことしかできないし、

人のためにやってるわけじゃないけど、

自分の仕事は誰かを救うことができると信じています。

 

写交場づくりは僕の人生をかけて追求したいこと。

「スナックピンぼけ」は大切なピースになりそうです。

 

写真が好きじゃなくても、なんか話したい!って人も

ふらっとスナックピンぼけに遊びにきてね。

ママやチーママ、店主がお迎えします。

 

次回は6月15日(土)に開催予定です♪

(最後は宣伝みたいになった…笑)

 

スナックピンぼけ

 

次回も軽食はナナツモリがご用意します。

メキシカン?な軽食が並ぶ予定です、お楽しみに。

 

それでは、また来週〜。